この仕事から垣間見る世界/スペイン・ビルバオ

6月にスペインのバスク地方へ行き、現地販売店と共に仕事をしてきました。スペインというと太陽が降り注ぐイメージですが、北部のバスクは年間の降水量が多く、到着時もしっとりと雨が降っていました。しかし緑が濃くて綺麗なのと、19世紀の建物をそのままホテルとして利用していたりと、落ち着いた佇まいの街並みがとても素敵です。

リーズナブルなビジネスホテルで、とお願いして予約してもらったホテルが、そんな19世紀の素敵な建物のホテルでした。

犬や鶏が放し飼い、柵の中に馬も飼っていて、庭を散歩するだけで癒されます。

あとで気付いたことですが、ビルバオにはそもそも古くからの建物が非常に多くあり、日本だったら間違いなく有形文化財に指定されているか、観光の目玉になっていそうな建物が普通にあちらこちらにあります。中には確かにそのような指定を受けている場所もあるのですが、取ってつけたような違和感のある保存形態でなく、自然に景観に溶け込むような形で実用されていることが逆に新鮮です。

圧巻だったのは、世界でも最も著名な現代建築の一つ、グッゲンハイム美術館です。

とある米国の建築雑誌が、建築家、著名な建築学部の教授、批評家、プリッカー賞受賞者を含む52人にアンケートをとったところ、半数以上が1980年以降の最も重要な建築物として、ビルバオにあるフランク・O・ゲーリーによるグッゲンハイムミュージアムを挙げたと言います。

写真では何度も見ていましたが、実物の存在感には言葉を失いました。

本来、建物とは人を外界の厳しい環境、風雨、暑さ、寒さ、などから守るべきもので、構造や機能が優先されます。しかしグッゲンハイム美術館は、建物というよりも、むしろそれ自体が一つの巨大なオブジェです。オブジェといってもよくある静的なそれではありません。建物という無機的な存在を超越して、何か意思を持った有機体が地面深くから、あるベクトルへの力をもってグイグイと立ち上がっているようにすら見えます。

外壁はチタニウムでできており、その輝きによってさらに存在感を増しています。

この不思議な魅力を持つ建物の建築がビルバオという落ち着いた都市に存在していることも新鮮です。しかもフランク・O・ゲーリーだけでなく、街のそこかしこに著名な現代建築科の作品がちりばめられているのは驚きです。本当に不思議なのは、それらの現代建築が、古くからの歴史ある街並みに違和感なく溶け込んでいることです。むしろ、互いの良さを引き立てあっているようにすら感じます。

グッゲンハイム美術館は、開館からの最初の3年間に400万人の観光客を集め、約5億ユーロの経済効果をもたらしたのですから、単なる芸術家の気まぐれではなかったことは明らかです。

個人的には、高さが最も高いとか、構造が強固であるとか、数値的に測り得る尺度でない価値観の建築物がこれだけ成功していることに感銘を受けます。人間も経済活動の中では比較され、いやおうなしに競争にさらされますが、どんぐりの背比べよりも個性の方が重要であると教えられているかのようです。

ビルバオのあるバスク地方についても、少し触れておく必要があると思います。

スペイン内戦時代にフランコ率いる反乱軍がドイツ・イタリアからなるファシズム陣営の協力を得て、ビルバオを含む北部を制圧し、ドイツ空軍による爆撃が行われたのがバスク地方のビスカヤ県にあるゲルニカです。ピカソの描いたゲルニカが、史上初の無差別空爆といわれる、このゲルニカ空爆をモチーフとしていることは言うまでもありません。

今回、開拓した販売店(今後はこの販売店がクライアント様の製品をスペインで販売)の社長いわく、「スペインとドイツとイタリアが共闘して、孤立していたバスクを攻撃したのだ」とのこと。このように、バスク地方の人達にとっては、自分たちはスペインから独立した地域という意識が強いようです。

現に、この地方にはバスク語というものがあり、この地域に住むなら、スペイン語とバスク語の二か国語が話せなければなりません。

この講堂は図書館の中にあり、地元の大学生がここで論文の発表を行うのだとか。この図書館の両開きの扉は、右側の取っ手にはスペイン語で、左側の取っ手にはバスク語で「引く」を意味する言葉が書かれていました。

税率もバスク地方独自に決められていたり、さらには、バスク地方のプロのサッカーチームは、メンバーの全員がバスク地方の出身者で構成されていることからも、バスク地方の独立性が浮き彫りになっています。

そんな歴史的な個性を持ち合わせたバスクですが、決して閉鎖的であるということはなく、人々は温かく、裏表がなくてまじめな印象でした。彼らいわく、南部とは違って北部は勤勉なのだとか。

現地販売店の人達が気を遣って良いレストランに連れて行ってくれたせいもあるのでしょうけれど、食事も美味しかったです。実際、帰国してから分かったことですが、世界で最もグルメな地域と言われているのだとか。

宿泊したエリアはビルバオの市街地から車で30分ほど離れた片田舎でしたが、こういう片田舎こそ雰囲気があって居心地が良いといつも感じます。タクシーなど見当たらないこの小さな町を歩いてみると、のどかな風景や、日本のようにピカピカでない、形の揃っていない野菜など、味のあるエッセンスに触れることができます。

実は観光地でないところに、情緒ある景色があったりしますよね。

現地販売店の社長は何でも直球で話せる人物で、好感の持てる人だったことも大きいと思います。私は以前からクライアント様にお伝えしているように、日本人よりも外国人との方が仲良くなりやすく、一瞬にして打ち解ける特技を持っています。ですが、その一瞬だけでなく、中には、ほんの数日間行動を共にしただけで、「オマエ、ここに住めよ」と言われたりもします。クライアント様からは「言葉がしゃべれるのって良いね」と言われることもありますが、言語とか地域とか立場とか、そんなものを超えたところに物事の本質はあるのだと思います。言葉が流暢でも心を通わすことが下手なプロの通訳者を何人か見てきましたし、そこに関しては、スキルの問題ではないとつくづく思います。

最近ブログやSNSの更新が停滞気味だったのは、既存のクライアント様のために力を注力するためです。また時間ができたときにこの仕事から垣間見る世界を、ほんの少しご案内できればと思います。

ウィスコンシンの小さな展示会

4月4日に米国の地方で開催された小規模の展示会から帰国し、本日の時点で既にその展示会で対話した顧客からの注文が2件決まっています。

(写真は滞在期間中に訪問したウィスコンシン州会議事堂です。展示会場ではありません。)

小学校の校庭ほどしかないホテル併設の展示会場で出会った潜在顧客が、数的にも質的にも大規模の国際展示場に勝っていたことに驚きを隠せません。私自身、国際展示会は多く経験していますが、名刺の数だけが多く、注文に直結しそうなビジター数は以外にも多くないことも少なくありません。

著名な国際展示会では観光まがいのビジターも多いですが、仮にこちらの製品に適合するビジターであっても、現場には詳しいのに一切決裁権を持たなかったり、決裁権は持つのに現場は全然知らなかったりして、出展物の本当の良さが受注に結びつかないケースがあります。またそういった国際展示会場では、自社にちょうど良い身の丈のあった製品よりも、世界的に見て突出した製品にのみ目が行きがちになるので、小規模の事業者にとっては難しい面もあります。

今回のローカル展示会では、現実的な目線で製品の導入と、それによる人件費の削減を計算できる中小企業の意思決定者との積極的な対話を多く持つことができました。

それだけではありません。この小さな展示会で、とある製品の生産量においては世界最大規模の企業がブースを訪問してくれて、製品を大変に気に入ってくれました。(過去に弊社ブログで案内した世界最大の企業とは別の企業です)。タラレバの話をしたらキリがありませんが、この顧客が製品を購入するとすれば、規模から考えて、一台であるはずがありません。

またこの展示会では、クライアント様の製品が受け入れられるいくつかの要因を分析することができました。どの国のマーケットを開拓するかを考えるとき、製品の機能、価格、といった目につきやすい要素の他に、経済的背景、文化的背景が大きく関与することをあらためて思い知らされました。関心のある方は、ご相談いただいた際に詳しくお話しさせていただきますが、同じ製品でも、ある国では全く受け入れられず、ある国では爆発的に受け入れられる、といったことが起こります。その見極めがうまく行けば、どこを攻めるべきかが見えてきます。そこが海外マーケティングの醍醐味なのかも知れません。

ところで、今回は半日ほどの空き時間ができたので、ウィスコンシンのマディソンにある、ウィスコンシン州会議事堂を訪問しました。海外出張は通常、短期間にイベントが詰め込まれていてこのような時間が取れることは少ないのですが、個人的には現地の文化に触れることは、とてつもない価値があると思っています。

たった一度、現地の代表的な場所を訪問するだけで、その後の現地の人達との話の弾み方が全く違ってきます。「どこぞの日本人」ではなく、自分たちの文化に歩み寄ろうとする海外からのアンバサダーになれるのです。

ウィスコンシン州会議事堂は外観も内部も威厳に満ちた建物です。建物の中には南北戦争の戦死者をたたえる碑のようなものがありました。帰国してから調べて分かったことですが、ウィスコンシン州は南北戦争の北軍に91,379名を送り出したとのこと。米国では、自由とは元来戦って勝ち取るもので、手放しで与えられるものではない。その意思と犠牲に対する敬意が深く根付いているように思います。

こうした訪問は、今日明日にどこかで役に立つわけではありませんが、人生をより味わい深くするのに役立ちます。こういったチャンスは多くはありませんが、この仕事の特権かも知れませんね。